相沢僚一・佐川梢恵
二人展

相沢僚一・佐川梢恵「いつかまた還帰ってくるために、
ここにポータルを建てよう」のPR用ビジュアル


■相沢僚一 ステイトメント■

この一瞬に帰るために。

この展示で提示する作品は、時間の中で消えていくものや記憶の希薄化と向き合いながら、「今この瞬間」に立ち会うための装置として存在しています。
私たちは多くの場合、物や記憶が永遠に残ると思い込んでいます。
しかし、時間が経つにつれて、それらは徐々に形を失い、思い出すことも難しくなる。
この不可避な消失に抗うために、私は作品を作り続けています。
それは、記憶を呼び起こすための楔であり、かつての瞬間に戻るためのポータルです。

共に展示を行う佐川梢恵さんとの共通点もまた、この展示の大きな核となっています。
キャラクター的な作品やフラジャイルな素材を用いた表現は、一見対照的でありながらも、
消えゆくものへの眼差しや、「今」に焦点を当てた制作態度で繋がっています。

いずれ失われることが分かりきっているものを、それでも作り続けるのはなぜか。
それは、「今、この瞬間」に必要だと感じるからです。
葬式でその場に立ち会うことと、仏壇の遺影を見つめることの違いのように、作品が持つ現前性や直接性は、私たちに何か重要な感覚を取り戻させてくれるのです。

この展示は、過去を思い出すためのポータルであると同時に、「今」という刹那に向き合うための楔です。

Returning to This Moment.

The works presented in this exhibition serve as devices to witness "this very moment"
while confronting the fading of memories and the disappearance of things over time.
We often assume that objects and memories will last forever. However, as time passes,
they gradually lose shape and become difficult to recall.
In resistance to this inevitable disappearance, I continue to create my works.
They are both wedges to invoke memories and portals to return to past moments.

The connection with Sagawa Kozue, with whom I am exhibiting, is also a significant part of this exhibition.
At first glance, our approaches—character-like works and the use of fragile materials—seem contrasting.
However, both share a perspective on fleeting existence and a creative attitude that focuses on the "now."

Why do I continue to create things that I know will eventually disappear?
It is because I feel they are necessary "at this very moment."
Just as standing at a funeral differs from gazing at a memorial portrait,
the presence and immediacy of an artwork help us reclaim something important.

This exhibition serves as both a portal to recall the past and a wedge to confront the fleeting nature of the "now."

回归此刻。

本次展览中的作品,作为一种装置,存在于时间的流逝和记忆的淡化之间,以见证“此刻”的存在。
我们往往认为物品和记忆是永恒的,然而随着时间的推移,它们逐渐失去形态,甚至难以回忆。为了抵抗这一不可避免的消逝,我不断地创作。
我的作品既是唤起记忆的楔子,也是通往曾经瞬间的入口。
此次展览与佐川梢惠的共同呈现,也是展览的核心之一。
角色化的作品与脆弱媒介的运用,表面上看似对立,实则在“消逝之物的视角”以及“关注当下的创作态度”上相互连结。
明知一切终将消失,我仍然不断创作。
这是因为,“此刻”是不可或缺的。
就像出席葬礼与注视灵位遗像的区别,作品的现场感和直接性,让我们重新找回某种重要的感受。
此次展览既是回溯过往的门户,也是面对“此刻”这一瞬间的楔子。




■佐川梢恵 ステイトメント■

今回は「劇的ではない生活」について考え、制作をした。
例えば食事やトランプゲームなど、ただの「作業」にもなり得てしまうような物事を描いた。
自分はそれを手に入れることに苦労をしたことがない。
日々繰り返しては忘れていく。
それはとても幸福なことだということにピンとこないほど繰り返してきた。
この世界の全ては永遠ではない。
もしかしたらいつか世界は、宇宙が生まれる前のような状態になる時が来るかもしれない。
だからというわけではないが私はこの世に何かを残したいとはあまり思わない。
ただ日々を繰り返し息をして、いつか息をしなくなってそうしたら誰に忘れ去られてもかまわない。
今朝の食事やいつかのトランプゲームのように。
ただ劇的ではない日々の中で私やあなたにとって、忘れられない劇的な一日や一瞬がいつかある(あった)だろう。
重要なのはその劇的な一瞬の為に劇的でない日々が存在しているわけではないということだ。
むしろ劇的でない日々の為に劇的な瞬間が存在するべきだと私は考えている。
つまり私達は劇的な瞬間の為に生きているわけではないのだ。
先の見えない一度きりの「劇的でない人生」を生き抜くために私は自分や誰かにとって劇的な瞬間を作りたいと常に思っている。
その瞬間をポータルとしていつでも身体と精神に力を入れて「劇的でない日々」を生きていきたいと思う。
物事は終わりがあるから美しく愛おしいわけでは無いと私は思う。
全ては今この瞬間に存在しているから美しく愛おしいのだ。
全てが終わっていくことは当たり前で、それでも私たちはその当たり前を恐れ悲しむのだ。
それは今この瞬間それがそこに当たり前に存在していたことを世界で自分だけが知っているからだ。
劇的でも永遠でもない日々を世界で自分だけがただひとりそれを愛おしいと知っているのだ。

For this exhibition, I reflected on the idea of "an undramatic life."
I depicted things that could easily become mere routines, such as meals and card games.
I have never struggled to obtain these things.
They repeat day after day and are forgotten, to the extent that I fail to grasp how fortunate I am.
Nothing in this world lasts forever.
Perhaps one day, the world will return to the state it was in before the birth of the universe.
That’s why I don’t feel the need to leave anything behind.
Life is not meant to exist for the sake of dramatic moments; rather,
dramatic moments exist for the sake of the undramatic days.
I want to create significant moments—not to live for them,
but to use them as portals to find strength in the everyday.

本次展览,我思考了“平凡的生活”,并以此为主题进行创作。
我描绘了诸如吃饭、玩扑克牌等看似日常、甚至容易被视为“作业”的事物。
我从未为获得这些事物而感到困难。
它们日复一日地重复,最终被遗忘,以至于我甚至无法意识到它们本身是一种幸福。
世界上的一切都不是永恒的。
或许有一天,这个世界会回到宇宙诞生前的状态。
因此,我不觉得有必要刻意留下什么。
人生并不是为了“戏剧性的时刻”而存在,反而,“戏剧性的瞬间”应该为了“平凡的日子”而存在。
我希望创造这样的瞬间,让它们成为一个入口,让自己和他人在“平凡的日子”中找到力量。

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